幸せとはなにか

SNS上で見られる幸せ

皆さんは日常生活の中で幸せまたは幸せそうと感じた事はあるでしょうか。幸せを感じる瞬間としては美味しいものを食べて幸せ、旅行でいろいろな景色が見れて幸せなど色々あると思います。また、幸せそうだと感じる瞬間としてはSNSでカップルが遊園地で楽しく遊んでる画像が見つける。高級そうな服を着て高そうな食事を食べている画像を見つける。などがあると思います。誰であれ日常生活の中で幸せだと感じる瞬間はあると思います。そしておそらくその誰もがSNS上で他の人が幸せそうにしているのを見て「いいなぁ。」と心の何処かで羨むでしょう。

さて本題はここからです。幸せが何か分かっていない人は羨みから「この人たちみたいになれるように頑張らないとな」と成長の姿勢をとります。またひどい場合は感情を羨みから諦観や憎悪へと変えいき自分自身や他者に対して攻撃的な姿勢をとるようになります。では、幸せとは何なのでしょうか。

それは 主観的幸福感 です。

言い換えただけじゃないのと思われるかもしれませんが、詳しく解説しますので見ていきましょう。

自分軸と他者軸

幸せには自分軸の幸せと他者軸の幸せがあります。自分軸の幸せとは自分の幸せのことであり他者軸の幸せとは他者の幸せのことです。SNS上で見かける他者の幸せそうな様子が後者に該当します。まずはこの他者軸から解説します。

他者軸の幸せとは自分から見て周りの人が幸せそうにしている状態を指します。誕生日を祝うときに相手が幸せそうにケーキを口に頬張ったりしますよね。しかし、ここで重要なのは幸せを感じているのは『誰』なのかということです。本当にその人が幸せを感じているのかはその人にしかわからないものです。

次に自分軸の幸せについて解説します。

自分軸の幸せとは自分自身が幸せを実感している状態を指します。趣味に没頭したりプロポーズに成功したり受験に合格したりなどですね。そして、自分が幸せだと感じる要因には自分自身に起因しているところが大きい自分要因と周囲に起因しているところが大きい他者要因に分けられます。自分要因の例としてモノを買う・資格を取得する・リラックスしている等が、他者要因の例として友だちと遊ぶ・恋人と過ごす・誕生日を祝ってもらう等が挙げられます。どちらにせよ幸せを感じているのは自分自身であり他人軸とは違うということも理解できるかなと思います。

幸福は与えられるのか

ここで疑問に思うことがあります。幸せを感じる要因に他者が関われるのなら幸せは自分から他者へ他者から自分へ与えることができるのかという点です。結論から言うとそれは不可能です。理由を解説します。他者要因の幸福は「他者の行動によって実感できる幸福」です。これを要素で分解すると「他者の行動」と「実感」のふたつになります。そして幸福状態にあるのは「実感」の方です。逆に考えれば当然ですよね。もし「他者の行動」に幸福状態があるのだとしたら幸福なのは他者であって自分自身ではないからです。「実感」しているのは自分自身なので自分自身が幸福状態にあるのです。よって幸福とは他者から与えることはできず自分自身の感覚のみ得ることができるのです。幸せが主観的幸福感であることがご理解いただけたと思います。

なぜ幸せを理解するのか

冒頭で幸せを理解していないと羨みから成長の姿勢を取ったり、諦観や憎悪の姿勢を取ったりすると書きました。諦観や憎悪はともかく成長の姿勢を取るのは良いことじゃないの?と思われた方もいるかもしれません。では、成長の姿勢を取るのが悪いのか解説します。諦観や憎悪は言わずもがななので省きます。まず前提をしてわたしは成長の姿勢を取ること自体は悪いことだとは思っていません。悪いのは幸せを理解できていない場合にとる成長の姿勢です。序盤で見たSNSの事例から考えてみましょう。他の人が幸せそうにしている姿を見て想像することは相手が幸せそうにしている状況と自分自身が置かれている状況のギャップでしょう。そして、現状から抜け出してこの人たちのような生活を送りたいと考える。問題点はここです。もちろん夢を目指して努力することは間違いではありません。しかし、幸せが主観的幸福感であることを理解していない人は幸せは自らの感覚のみでしか得られないことを分かってないため相手の幸福状態を自分の未来に投影して自分自身の幸福状態を誤認して夢として追ってしまうのです。その夢が本当に自分が目指したいものなのであればよいのですが幸せを理解していなければ五人状態になりやすいため異なる場合のほうが多いと思います。自分がどういったときに幸せを感じるのか将来どんな自分になっていたいのかを考えれば自ずと幸せな人生を築けるはずです。

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