あなたは生活の中で「あの人うざい」「私のことわかってくれない」「仕事をしてくれない」など人間関係に悩んでいませんか?
人は生まれてから家族や親戚とつながり友達や仲間、同僚など様々な人間関係を築きます。色んな人と関わっていると楽しかったり嬉しくなったりしますが、一方で辛い、苦しいなど嫌な気持ちになることもあります。喧嘩した、浮気された、詐欺にあった、振られた、裏切られたなど。そして、そんな目にあうと現状を回復するために行動したり、はたまた「あいつが全部悪い」と決めつけて相手からの現状回復のための行動を待つ人もいます。ただ、どんなふうに行動したとしてもあの人に嫌われてないかな、私の気持ちを受け入れてくれるかな、など様々な不安がつきまとってくるものです。段々と心が苦しくなってきます。
人間は孤独に耐えられない生き物ですからこうした悩みを抱えがちです。しかし、こうした悩みを解消するマインドセットがあります。
それは「人間関係は人生のおまけ」です。
人間関係は人生のおまけ
ハイデガー哲学の死の特徴から学ぶ人間関係

上の図は人生における人間関係の流れを表したものです。真ん中の『生きている時間』に着目してください。その下にある様々な人のアイコンは生きている中で様々な人間関係を構築することを表しています。それぞれのアイコン自体に意味はありませんのであまり気にしないでください。
左上と右上の「生」と「死」の文字を見てください。それぞれに人のアイコンがついていてその下には「個人として存在している」と書かれています。これが表しているのは人は生まれた瞬間そして死ぬ瞬間は確実に個人として存在しているということです。なぜか?生まれる瞬間も死ぬ瞬間も人は何も持っておらずただ自分という存在がそこに存在しているからです。双子で生まれようがが心中でなくなろうが関係ありません。その瞬間に存在しているのは自分という存在だけなのです。『存在と時間』の著者である哲学者ハイデガーも人の死について触れており「人は生きている間、かけがえのない個人として存在しており”死”こそがその現実を認めさせてくれる」と語っています。つまり、本来人間は生まれてから死ぬ瞬間まで個人として存在していることが言えます。
ハイデガーは存在とは何かを考える中で「死」についても考えた哲学者です。ハイデガーは死について次の5つの属性があるとしています。
①確実性
②無規定性
③追い越し不可能性
④没干渉性
⑤固有性
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人間関係は人生のおまけというマインドセットは私が『明日死ぬ幸福の王子』を読んで、もし今すぐに死ぬと思えたときに今の人間関係に本当に意味があるのかと疑問視できたところから発想しました。
このマインドセットを思いつくきっかけになった死の特徴は確実性・無規定性・固有性の3つです。追い越し不可性と没干渉性について気になる方は『明日死ぬ幸福の王子』を買って学んでください。
確実性・無規定性・固有性
まずはそれそれの言葉を理解しましょう。確実性とは死は誰であっても必ずやってくるという考え方です。無規定性は死はいつやってくるかわからないという考え方です。この2つは理解できますよね。固有性はちょっと難しいです。固有性とは死はあなた個人特有のものであるという考え方です。言ってることはわかるけどいまいちピンとこないですよね。私も最初はそうでした。大丈夫です。今から解説します。多くの人における死の認識とは誰にでも起こり得るものであり今起こるとしてもそれは自分以外の誰かであるといったところでしょう。ここでポイントなのは確かに死とは誰にでも起こり得ますが自分の死と他人の死は全く違うということです。他人が死んでもあなたは「ああ良かった。自分はまだ死なないんだ」と生への安堵感を強めるだけですよね。しかし、自分が死ぬとなるとそうは言ってられません。自分が死ぬんだという死への恐怖感が湧いてきます。これが他人の死と自分の死の違いであり、そしてこの恐怖は他人が代替わりできるものではありません。そういう意味で死には固有性の特徴があるとハイデガーは言っているのです。
多くの人は人間いつ死ぬかは分からないと口では言っていても、自分はまだ死なないと無意識のうちに思い込んでいます。確実性と無規定性については分かっているのにそのタイミングが今であるとは認識していないのです。なぜそうなってしまうのでしょうか。
人間関係がもたらす人生の罠
もう一度さっきの図を振り返りましょう。

私はこの図を用いて人は生まれる瞬間と死ぬ瞬間は個人として存在しており、生きる中で様々な人間関係を構築するという話をしました。しかし、その人間関係を構築する中で人間関係の罠に陥る可能性があります。そして、多くの人がその罠にかかっています。その罠とは「他人からどう見られるかを意識するあまり自分自身を見失うこと」です。あなたは就活や試験の面接で自己紹介をする時どのようにしますか?多くの人は「わたしは自己管理大学のスズキです。部活ではキャプテンをやっていたので人を率いる能力があります。」「西中学校のタナカです。周りからは真面目だとよく言われます。」といった感じでします。私も受験期や就活をするときには自己PRはこのように書きましょうと教わり、このようにしてきました。しかし、最近こういった自己紹介の仕方に違和感を覚えるようになりました。
きっかけは『明日死ぬ幸福の王子』を読んでいたときのことです。この本には道具体系の話があり、「人は自分以外のすべてを道具としてみており、そこには人間も含まれる。人は自分以外の他者を道具としてみておりそれは逆も然りで他者もまた自分を道具としてみている。そうするうちに人は自分で自分自身を道具と思い込んでしまう」という説明がされています。簡単に言うと人は自分を不特定多数の他者の視線によって自分がどういう存在なのかを決めているということです。本来、自分という存在はかけがえのない存在であるのにもかかわらず、人と関わるうちに自分自身を交換可能な道具だと思いこんでしまい自分自身を見失ってしまうというリスクを人間関係は孕んでいるのです。
この事に気づいてから今までしてきた自己紹介はすべて他者が決めた自分を紹介しただけだったんだ、自分という存在の紹介ではなかったんだと後悔しました。
それからというもの自分という存在は何なのかと考えました。他者から見た自分は肩書で塗り固められた自分なんだと仮定し肩書を外した自分を想像しました。なんの中身もない空っぽな人間なんだなと実感しました。そのことを認めたくないからこそ人間関係に溺れ他者からどう思われるかを考え動き肩書でできた自分をあたかも本来の自分であるかのように思い込みながら生きてきたのだと気づきました。
では、この状況から脱し自分という存在を証明するための方法を考えました。人間関係を気にしないようにすればいいだろうと。そのためには人間関係は人生のおまけと考えて生きることが必要だと結論づけました。
なぜなら、今すぐに死ぬことを意識したら今ある人間関係なんて自分の人生に比べたらちっぽけなものだと思ったからです。自分の死を他者が代替わりできないのであればわたしはわたしの人生のために生きるしかないのです。
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